本を読むように考えること


  • 04:05 時間がなくても人は本を読む時間を持てる。というのは、人は勝手に自分でこしらえた本を読むように考えているからだ。本を読みたいということは、人の本=思索を辿りたいということであり、コミュニケーションの創発を期待しているところがある。ただ知識を得るために本が存在しているわけではない。 #
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lecture de La Modification de Michel Butor



Michel Butorの小説、La Modification*1の朗読模様。

音響・映像を駆使するとどうしても、現代音楽のように空々しく*2、大袈裟な調子になってしまうのだが、ビュトールの冗長的な文章のリズム、読んでいる感じを出そうとすると、たしかにこんなイメージになってしまうだろう。*3まあ当たっている。
イメージサウンドはそれこそ、鉄道の走行音などを重ねるだけでいいと思うが、観客にしてみれば、退屈でとてもたまらないだろう。

*1:La Modification (Minuit

*2:Liege a Parisリエージュ-パリ間の鉄道の旅。アンリ・プスールがまさにこれを地でいっている。

*3:スティーヴ・ライヒの『DIFFERENT TRAINS』を重ねる御仁もいらっしゃる。乗っているという状況の持続と進行の反復は単純に心地がよい現象である。

人間的時間


  • 04:01 眠いのだが、まだやることがあるから眠くない、そうも言える。やることがなければ、人は自然に寝る。相手あっての仕事なので、一気にやらなくてはいけないときがどうしても来る。ゆっくりじっくり読みたい本、考えごとに、風景が、瞬間に浮かぶ。こういう予想だけで人はある程度、満足がゆく。 #
  • 04:07 物理的な時間に抗って、人は、人間的時間を自然に拡げていく、伸ばしていくよう、人間の感覚構造は自然に作られているのかも知れない。子どもの頃の、茫洋とした時間なんてものは、無いに等しかったのだと、振り返る。要は質の問題で、質が高まれば、短き時間も永きを得るということではないか。 #
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ジュール・ヴェルヌが描いた横浜

urotanken2010-04-28


日本ジュール・ヴェルヌ研究会より、上記本、ご恵送いただきました(ありがとうございます)。
簡素とはいえ、内実を思えば立派な本です。


慶応義塾大学日吉キャンパスにて昨年12月、好評を博した展覧会イベントがつまった本ですが、
ヴェルヌファン必携の書と言えるでしょう*1

*1:僭越ながら、私もポスター作成に協力させていただきました

住まいを移すこと、あるくこと


町田から荻窪への引越が無事、引越のサカイによって、難なく完了した。サカイ、さすがはプロで、一挙に本の入った段ボール二箱を抱えて、機敏に動く。休憩は10分程度の一回のみで、手際の良さに驚く。人数はたったの3人ながら、素晴らしい機動力であった。


町田は本当に良い街だった。都心へのアクセスは決して悪くはないが、小田急の軌道はかなり自然の野山に沿うかたちで描かれているので、すべて高架複々線といった施行ではなく、列車の運行・所要時間に如実に反映されている。だから、京王線などと較べても差は歴然とするのだが、そのぶん、車窓から流れる神奈川の野山の移りゆきの穏やかさは眼福もので、急階段を擁した生田の丘陵地帯と住居の分布模様、鶴川玉川学園町田の、見晴るかす郊外自然には、涙を滲ませても良い美しさがたたえられていた。田園都市線ほどの人工的ユートピア郊外ではなく、JRほどの殺伐とした新旧の血痕がむき出しになっているのでもない、かつての農村と新興住宅地の融合がゆるやかに行われたのかと想像するような、落ち着き払った風景がある。


一戸建ての家屋が立ち並ぶなかにマンションがひとつ、新築されたとき、住民には大きな違和感があったのではないかと察するが、そうした小さなユニットを包括する土地の使い方を一切合切、全面的に、根こそぎに、ならすのではなく、均質にならないことを恐れるまえに、自然との対峙があり、自然のどうにもならなさを克服しつつ承け入れるやり方は、遅さのなせるわざなのだろう。


おとなり大野以西はつい最近まで農村地帯だったと、大野の立ち食いそばやのおばさんが教えてくれた。大野も通過する東京都道・神奈川県道51号町田厚木線は、行幸道路と呼ばれ、天皇が町田から座間まで向かう通りだったが、その道路の左右に散らばる郊外の商店を取り払って、いまでも田畑が広がっていると想像してもおかしくない。象徴物が景色に存在しなくとも、何かを想起させる風景というものがある。それは風景の機構が、書物と同じく、読者が参与してはじめて成立せしめるメディアであり、つまりは、何らかの時系列の異なる諸テクストが、目に見えぬほど織り込まれていて厚みがあるものと、はじめから推測してしまっても構わないということだ。ただ人間は、手前の感覚で捉えられ、立ち上がる現実を前にして、それを言葉で表現しえなかったり、表現する言葉をまだまだ生み出していないというべきだろう。だから、郊外は何にもないと言ってのけてしまってはおしまいなのである(正確には、何もないということがあるのだから)。もちろん、風景を批評することに欠いているというわけではない。その時代その時期で、評言というものも様変わりすることがあり、そのプロトタイプをその都度、開発してきた御仁がいる。


話が郊外に大きくぶれたが、町田の自然-人口は「雪崩れ」(丹生谷貴志)が生じた懐の深い土地だったと思う。すぐ裏手の多摩なんかに足を運ぶと、土地の刈り込みの凄まじさが目に沁みる。そういう風景である。経年すればどこも「雪崩れ」て調和するということではない。壊し方にも育て方にも、人の思いが宿るということなのだろう。風景を見、感じ、味わうということは、人がかけてきた息吹を取り込んでみるということなのだと思う。そこには永年済み続ける土地の人々や動植物、人が企てた目論見や出来事が畳み込まれる。現前化していないものを自前で再度、出現させる。散歩のたのしみは、人間機械論、自己メディアの営みにきわめて近い。散歩をすると自己の感度が、瞬間的であれ、決定的であれ、高まるのだろう。



町田は私のなかに取り込まれ、来るべき経験に対して身体化される。汗や老廃物の新陳代謝のごとく、プリンティングされた土地の経験も、次第におぼろになり、鮮明でなくなったことで却って自分の経験へと変えることができるのだ。幸か不幸かそのことを意識してか(ぼくのように、しすぎも不自然というものだろう)、無意識裡に、自分の場所を替える。その意味では、まったき定住民族には畏敬の念を払いつつ、遊牧民族こそ本来的な人間動物の姿を見る思いがする。住まいにかぎらなければ、マイナーチェンジであろうと、能力がありながら移動しないで生活する人などはたして存在しているのだろうか。



町田の養分を蓄えて、荻窪に移る。荻窪は、阿佐ヶ谷や西荻窪のようなサブカル都市とも言いがたく、これといって主だったものは見当たらないが、その中立的匿名的な大らかさにかえって、街固有の群衆を際立たせるように映る。街ゆく人々の年齢層にもばらつきがあって、その意味では、荻窪のなかに町田を見るようだ。この先、町田が自分の脳裡から消え去って常態したとき、自分はどこに住まっているだろうかとぼんやり浮かべてみるも、現時点にて皆目検討はつかない。