〈cm/sm〉のディスタンス

urotanken2007-07-22




【ネタバレ注意】



何年ぶりか、御茶ノ水から秋葉原までぶらりと歩いた。聖橋の袂にベビーカステラの出店があり、注文しようとすると、ちょっと待ってねとお爺さん。焼き上がりの肝心な時なのだろう。頃合いを見計らい、注文をきりだそうとすると、6個でしょ、わかるよ。2個、おまけね。どうしてわかるんですか、客をみればすぐにわかる、と。自然な卵の風味の香るベビーカステラを口に放りこみながら、下り坂にぐんぐん身をまかせて歩けば、子供のころ連れて行ってもらった交通博物館の跡地が見え、そして秋葉原電気街にはいる。途中、店で見つけた「秒速5センチメートル」というアニメーションの予告があまりに美しかったので、買って帰って観てみた。



秒速5センチメートル 通常版 [DVD]

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映画にもなっているというこの作品のテーマは徹底的なまでに陳腐な青春もの。これぞ〈ザ・センチ〉という内容。山崎まさよしの「One more time, One more chance」が主題歌に選ばれていることからもわかるとおり*1、お馴染みの片恋もの。両想いに見えるふたりのあいだをシンクロニックに描きながら、ずれを開いてゆく。小学生から大人になるまでの幼なじみの男女の別離・それぞれを映像化したものである。ヒロインの少女が口にするように「秒速5センチメートル」とは、桜の花びらが落ちてゆく速さを意味する。花びらが散ってゆく〈cm〉という移ろいの尺度は、彼らの心底をはかるセンチメンタル〈sm〉に転化される。

二人が送った世田谷(豪徳寺?)での小学校生活の終わりとともに、彼女は栃木県は岩舟へ引っ越す。男のほうも世田谷の中学校を途中で転校して鹿児島は種子島に引っ越すことになるのだが(第二話)、ふたりは文通を交わし続けることで、ディスタンスを埋めようとした形跡がみられる。それぞれの時空間の〈cm/sm〉を手紙に認める。今ここには自分がいて相手がいないという時空を無化させようとする。空しい倒錯行為。手紙や携帯電話のメールに文字として閉じこめる作業そのものが、ふたりの〈cm/sm〉を縮めるのではなく、反対に拡げることであることに彼らは気づいたのか、次第にやり取りそのものが失われていく。成人した男のガールフレンドが送ってきたメールにはそのことが端的に綴られている。


頻繁に登場する鉄道の光景、流れゆく車窓の風景、路線図の示す距離、列車の遅延、車窓に滲ませる回想などが、ふたりの〈cm/sm〉という距離感を伝えている*2







第三話、成人した男女が踏切ですれ違い、渡りきったあとで上下列車の走行が二人を距てる。



振り返る気がしたという男のモノローグを裏切る誰もいない光景という結果。振り向きざまに笑みを浮かべて立ち去るのがまあ救いといえばそうなる。想い出、過去に生きようとする倒錯は悲劇*3の結果しか生まないという陳腐な断りをするまでもない。つまりキルケゴールのいう後ろ向きの「反復」*4としての追憶のなせる業である。登場人物が常に移ろい〈cm/sm〉を愛でる気持は、都市の何気ない風景に注ぐ反復の視線にこそある。実写ではうまくいかない都市の情感、厚みをアニメーションは生み出してくれる。何気なく零れる都市の、東京の風景を、このアニメーションはあまりにも美しく描く。クオリア的風景というよりも、現実の場所の磁場の風景に存在の重みがかかっている。それは賞賛したい点である。

*5 *6 *7 *8 *9 *10

*1:

One more time,One more chance 「秒速5センチメートル」Special Edition

One more time,One more chance 「秒速5センチメートル」Special Edition

*2:とりわけ第一話では、中学時代の少年が放課後に栃木の少女に会いに行くはなしだが、天候の悪化で列車の運行が大幅に遅れてしまい、ふたりの〈cm/sm〉が大幅に引き延ばされる。

*3:生産的ではないという意味です。

*4:

反復 (岩波文庫)

反復 (岩波文庫)

*5:場所は特定できません。渋谷区の広尾や恵比寿、あるいは港区北青山といった小粒の街の、小さな個人経営の喫茶店の窓辺から眺めた街路を思わせます。

*6:何となく思い出したのはJR南武線のホーム。高架線ホームの風景なのは間違いなさそう。

*7:東急東横線中目黒駅プラットホーム、目黒方面を前にした山手通りを跨ぐ。

*8:前景の、外濠の景色からJR市ヶ谷駅と特定可能。

*9:JR御茶ノ水駅近く聖橋(水道橋側)から秋葉原方面を仰ぐ景観。

*10:JR新宿駅南口のコンコース。