ゼロの胎動

urotanken2007-10-28




集英社からWEBで最新作が読めるRENZABURO(レンザブロー*1)というサイトがあると知った。古川日出男の作品が少し読める。古川は今アツい作家だ(と勝手に思っている)。


批評と理論のサイト、〈SITE ZERO ZERO SITE〉もおそらく若手の研究者・専門家たちがレビューする書物など*2を通じて、銘々の専門領域を垣間見させてくれる点で、なかなか有益ではある。


出版物になった人文系学問の雑誌などにあまり触発されることがなくなったのは、ホットな話題を提供してくれていると思えないからだと思う。別段新しければよいわけではなく、むしろ、新しく見せることが肝心なのではないだろうか。SITE ZEROで思うのは、一見ばらばらな主題を扱う論者たちの寄稿をインデックスで眺めていると、論者たちがある種の編集精神を持とうとしているのではないかと深読みしたくなる。雑誌というのは本来何でもありという自由な側面がある以上、思想・学問状況の混沌としたまとまりのなささえも、まとまりのない状態としてうまく取り込める矛盾した雑誌が出てきても、大いに結構なことではないだろうか。

そうなると、月曜社が出し始めたばかりの『表象』という雑誌も、大した意味がなくなってしまうような気がする。〈表象〉などで括る時代はとうに終わったのではないか。〈表象〉という言葉が埃をかぶってしまった感は否めない。
表象〈01〉特集 人文知の現在と未来―越境するヒューマニティーズ



いま、〈ZERO〉という言葉が指し示すように、ゼロ地点へと回帰(?)してスタートしたいという欲望があちこちにほの見える。ニュース番組のタイトルしかり、『FICTION ZERO/NARRATIVE ZERO』しかり、SITE ZEROしかり、である。ゼロスタートするさい、必要なのは先へ踏み出す前進への意志である。これまでのしがらみをご破算にして先へと向かおうというまっさらな態度にいやらしさも感じつつ、その前進しようとする力に期待してみたい。

*1:イメージキャラクターである雑読かわうその名前

*2:書物だけではなく、音楽・芸術などの分野を設けている