仏文学会@関西大学

urotanken2007-12-09




関西大学で行われた二日間の仏文学会。出展のために参加。
知り合いなど拝聴したい発表があり、3方の発表を覗いた。

朝一で、加倉井仁氏の発表〈バルザック『人間喜劇論』ー消えゆくものへのまなざし〉。
小説家バルザックとしてではない、歴史家バルザックとしての「消えゆくものへのまなざし」といったとき、事物に即くそのやり方(記述など)をさらに徹底的に追究してみたらどうか、と発表を聞きながら考えた。

正午すぎてから、平林通洋氏〈ピエール・ルベルディー(1889-1960)の風景 後期作品にみる「現実の叙情」〉。
モダニズムにみられる形象詩を書いていたルベルディーが、その形式を排し、どのように叙情の方向へ向かったのか、発表作品に採録の流れをチャートしながら、紹介してくれた。パフォーマンスがちょっと学会で聞けるようなものではなく、サービス精神に溢れていた。発表のスタイルから、詩の朗読、詩へのコメンタリーなど、ルベルディーを読みたくなるような発表で大変よかった。シュルレアリスムのなかでおさまるルベルディー像に対するノンを突きつけた彼の発表は、シュルレアリスム研究者にはおそらく不満ではあっただろう。

最後の発表、石橋正孝氏〈コミュニケーションとしての小説ージュール・ヴェルヌの連作『驚異の旅』における『八十日間世界一周』の位置〉。
聴講者が多かった気がする。石橋氏は『驚異の旅』シリーズの作品を、「世界一周」型(メタレヴェル)*1と「至高点」型(作中レヴェル)*2の二つに大別する。

「世界一周」型(メタレヴェル):「作中で踏破される旅程が読者にメタレヴェルで示される」
 「至高点」型(作中レヴェル):「作中人物が目的地等の計画を明確にアイデアとして持っている代わりに、メタレヴェルに立つことを許されない読者が計画の成否を知るために最後まで読まなければならず、計画は失敗する」

「至高点」(le point suprême)というのは、ビュトールアンドレ・ブルトンの言葉から借用し、ヴェルヌを論じるさいに使った鍵語である。*3ところで、「世界一周」型と「至高点」型のヴェルヌ小説のなかで、『八十日間世界一周』は「世界一周」と「至高点」を「読者自身に統合させる」ものであり、「八十日間世界一周」以降のヴェルヌの読者は、芝居の観客に近いポジションにあるのではないか、と石橋氏は指摘する。ぼくは石橋氏のふたつの類型レヴェルが明確にわかれるものであるということを理解できなかったのだが*4、コミュニケーションという言葉を、読書(受容)論として述べているのか、創作論として述べているのかが不明瞭に思われたからではないか、と思う。情報伝達のレヴェルでいかにヴェルヌが配慮したのかを考察する意味で、情報(information)的側面から、創作論として論じるほうがよいのではないか、と感じた。




いずれにしても、出展しながらちょいちょい聞きにいってしまい、あまり好ましからぬ行為ではあったが、収穫はあったかと思われる。今回の仏文学会は発表者が一番多かったそうで、であれば、二日に分けて発表させるほうがよかったのではないか*5




 



追伸。写真のジュースは、阪神梅田駅のスタンドで飲めるミックスジュース。関係者らでミックスジュースを飲みに連れて行き、勢いでたこ梅にておでんを食べたのがよき思い出。いやあ〜、ほんに関西は、ええとこや。

*1:ex. 気球に乗って五週間(Cinq semaines en ballon)、グラント船長の子供たちー世界一周の旅(Les Enfants du capitaine Grant:voyage autour du monde)、海底二万里ー海底世界一周(Vingt mille lieues sous les mers: tour du monde sous-marine)、月を回って(Autour de la lune)

*2:ex. ハテラス船長の航海と冒険(Voyages et aventures du capitaine Hatteras)、地球の中心への旅(Voyage au centre de la terre)、地球から月へー九十七時間二十分の直行路(De la terre à la lune: trajet direct en 97 heures 20 minutes )

*3:On peut arriver tout près du pôle, mais arriver au pôle même reste impossible à l'homme en cette vie. Michel Butor, " Le point suprême et l'âge d'or à travers quelques œuvres de Jules Verne" in Répertoire1; , Paris, Minuit,1960, p.147 たしかにビュトールが述べる通り、極そのものには到達できないという人間にとっての不可能性こそが、人間をその到達点へと駆り立てるのである。

*4:石橋氏はそれこそが狙いであったと後日語ってくれたのだが

*5:ワークショップが初日で、二日目に単独発表と分けられていた。一日目の人の入りの少なさもそのせいではないか。