理想の街?!、沼袋

urotanken2007-08-12







先に、理想の街をこう思い描いたことがあった。

武蔵小山のような商店街か下高井戸の食料品店があって、南阿佐ヶ谷の書原本店のような本屋さんがあり、大森は山王や馬込のような起伏がありドトールコーヒーサンマルク・カフェ、そしてぽえむのような珈琲屋さんがあり、荻窪西荻窪のような古本やさんがあって、東中野の十番のような中華料理やか渋谷の後楽そばのようなお店があり、目黒不動前の林誌の森公園、王子の音無親水公園武蔵小金井の小金井公園調布市三鷹市の野川公園の自然があるところは、やっぱりどこを探しても、ない。*1


しかし上記のイメージを充たすミニマムな街が実在していたのである! 沼袋である。



沼袋は、西武新宿線の走る中野区域のひとつ*2普通列車の停まる小さな街だ。 沼袋駅跨線橋のある島式ホームで、上・下線の出口が北口・南口とそれぞれ用意されている。下りホームの切れ端には踏切があり、北と南が分断される。商店街は北口方面に形成されている。大きな特徴としては、北も南もゆるやかな坂道になっており、坂道の終わりに沼袋駅が待っているという起伏のある地形である。



南口を出るとファーマシー・セブンイレブン、小さなレンタルビデオや、不動産や、ちゃんぽんの店が目にはいる。程なくして妙正寺川という小さな川が蛇行している橋があり、ここから小さな坂道にさしかかるが、右手には平和の森公園という木々の鬱蒼とした立派な公園がある。のぼりおえると三叉路になっている。そのまま直進すると素直に野方警察署手前の早稲田通りにぶつかるが、中野駅中心街に向けて歩いてみると、京王線でよく見かけるスーパーマーケット、LIFEがあった。LIFEは夜10時まで営業とあった。



北口を出たホームの裏手にもスーパーマーケット西友がある。ホームに沿っていくと、大変立派な構えの氷川神社がある。


北口の坂道商店街はというと、これが小規模で短いながらもご立派というほかない。商店街とはいったが、アーケードが設えてあるわけではなく、坂道の両側にお店が並んでいるというだけだ。しかし、あらゆる、といっては何だが、お店として思い浮かべるかぎりの、個人経営の店が坂道の両サイドに合間を縫うように並んでいるのだ。内訳業種は、茶店(2件)ドトール和菓子や肉や魚や総菜屋中華料理や漫画喫茶書店古書店(立派な古書店が一軒ある!)不動産やお茶や花やパンや銭湯手もみんリサイクル店ふとんやペットショップ自転車やローソンお菓子のまちおか飲み屋スーパー沖縄料理やに以前は不二家があった。脇道にそれると、大岡稲荷大明神の不思議な鳥居の入り口があったり、またもや焼き肉や(多し)焼鳥屋割烹ラーメンやケーキやイタリアンの店定食や卓球の店お好み焼きや…、思い出して列挙するだけでも十分すぎるほどある。



商業的地盤はこのくらいにするが、やはり魅力的なのは、「沼袋」という地名がさしだす歴史的な地勢が今も現存していることである。中野早稲田通り方面・練馬新青梅街道方面の坂上から一気に雨水が注ぎ込んできて、あたかも沼の袋のようになるという自然。地元住民は溜まったものではないが、直に体験してみたいという気楽な感想さえ抱きたくなる(実際に被れば文句の言い放しだろうが)。実際お隣の野方では、環七地下調節池妙正寺川取水施設があるように、大変な水害の被害地でもある(2005年秋の大雨洪水時は大変だったようだ)。都心から近い割に地価が安いのは、そのせいもあるのではないかと思う。


本人も住み着いたという建築家の毛綱毅曠(もづな・きこう)はかつて、沼袋について次のように語っていた。

……野方丘陵と沼袋丘陵の間のどんづまりで、室町時代の古くから人々は棲みつき、けれど、雨が降ると沼のようになったところから、オドロオドロしい沼袋という名がついたと古書に謂う。
 えてして、こうした袋・端・辻などという境界をあらわす土地は、現世ともう一つの世界との裂れ目に接しているらしいのだ。
 沼袋の氷川神社太田道灌の管轄下だったのであり、何と氷川神社とは大江戸の開祖太田道灌の縁の地であるというのだ。
……江戸とは「風水」でいう龍が渦巻くごとき活発なエネルギーの土地なのである。ところで龍が九つの動物のキマイラであることから推しても、この関東一円のメガロポリスの繁栄を数百年前に夢みたこれこそ、道灌の龍神都市構想ではなかったろうか。*3


中沢新一の「アースダイバー*4」風に捉えれば、沖積世の低地に属す「湿った土地」の沼袋のような低地では、ただの水害地というだけではなく、反対に何かがふき溜まるだけの土地の自然的役割といった受動の機会が授けられているのではないか*5。水害をただ忌避すべき災害と捉えるのではないものとして。風水はいさ知らず、場所には場所ごとに独自の力が宿るものとぼくは信じている。安部公房の『砂の女』ではないが、土地の区々や場所には結界ができるのだとすれば、敗者には敗者の、敗土には敗土の、それなりの意義があるのだと考える。

*1:引っ越し、たい〉でそう書いた。

*2:新井薬師前〈 沼袋 〉野方

*3:毛綱毅曠『都市の遺伝子』青土社、1987

*4:アースダイバー

*5:中沢は同書で、「東京低地の哲学」として次のようにいう。「……低地でははじめから、人生は不確実なものだと、みんなが知っている。なにしろそこでは沖積地の上に、暮らしが営まれているのだし、人の生存がもともと不確かなものであるという真実を隠すために、人が自分の身にまとおうとする権力やお金も、低地の世界にはあんまり縁がない。(……)人生が不確実であるということは、逆に柔らかく動揺をくりかえす、母親のからだのような宇宙に生きていることの、なによりの証ではないか。」