バートルビーが流行ってる?!
ハーマン・メルヴィルの中編小説『バートルビー』が、新潮から出たエンリーケ・ビラ=マタスの『バートルビーと仲間たち』という小説を皮切りに*1、今年話題になっているようだ*2。代書人(*3)バートルビーという青年は、職場で「〜しないほうがよいのですが…」という奇妙な繰り言で上司に応答し、筆生であることをやめ、最期は「食べないほうがよいのですが」といって死んでしまう男の話だ。業を煮やした雇い主に解雇を言い渡され、法律事務所から退社を求めても、「そうしないほうがよろしいのですが」というバートルビー。この奇妙な青年の「〜しないほうがよい」という可能性の力を、ジョルジュ・アガンベンは「潜勢力」の哲学問題として論じている。『バートルビーと仲間たち』は一歩穿って、書かない方がよい作家たちを「バートルビー症候群」として挙げていく小説家の話だ。こういうのは小説技法としてよくあるパターンである。書かない方がいいと言いつつ、書かない方がよいことの理由付けをああだこうだと挙げ連ねて結局書いているという矛盾である。
さて、バートルビー自体は、岩波文庫の選集や*4、集英社版*5や筑摩世界文学大系
*6に採録されているほか、ボルヘスのアンソロジー〈バベルの図書館〉シリーズの一巻として国書刊行会で単行本化されている。*7今のところアガンベンの評論に付属翻訳されている月曜社版が入手しやすいかと思うが、このあいだ柴田元幸が刊行した「モンキー・ビジネス」*8で、柴田自身が「バートルビー」を訳している。また、[[ポプラ社から刊行された『諸国物語』という世界文学〈一〉集にも採録されている。*9みな、バートルビーが文学作品として気になるようだ。
一方、アガンベンの論調を現実的な社会問題にひきつける方向もみられる。雑駁な物言いになるが、「ニート」的問題としてバートルビーという人間を捉える向きだ。たとえばトム・ルッツの『働かない』あたりだろうか。*10河出書房新社から今月出たジジェクの文庫『ロベスピエール/毛沢東』*11にも「バートルビー」について割いた章があった。不詳につきコメントは控えたいが、一種のアクティヴィズムとしてバートルビーの振る舞いを考えることではないだろうか。〈〜したくない〉とわがままに主張するのではなく、〈〜しないほうがよい〉と倫理的な宣告を果たすのである。「バートルビー」的問題が確かにあるように思う。
バートルビーという奇妙なキャラクターはメルヴィルの小説のあくまで作中人物のことであるし、バートルビーという謎を謎のまま捉えることに面白みがあるのが文学の姿勢に思うが、バートルビーというキャラクターがどのように影響、受容されたのかという可能性を探る意味で、『バートルビーと仲間たち』は面白い文学史小説である。また「バートルビー」という人名にもキャラクター*12、が隠されているという説もあったように思う。思えば、ペレックの『人生 使用法』*13でも「バートルブース」という大富豪が出てくるが、これは「バートルビー+バルナブース」のことだったか。*14
そんなこんなで、バートルビー現象が出版界で、いま目白押し*15である。
*1: 推測に過ぎないが、今年最初にバートルビーに触れる書物だったことは間違いない。
*2:トラックバック(カルハズミナコトバ)いただいたが、そう、佐々木敦氏プロデュースの「エクス・ポ」vol.3の《豊崎由美×仲俣暁生×佐々木敦「プロフェッショナル読者論」》でも取り上げていたのは読んだ、それを忘れてた。
*3:アガンベン『バートルビー 偶然性について』付録の「バートルビー」では「筆生」としている
*4:
*5: 世界文学全集〈39〉メルヴィル (1979年)タイピー バートルビー ベニートー・セレイノー
*6:
*7:『代書人バートルビー』酒本雅之訳、バベルの図書館 9、国書刊行会、1988年
*8: モンキー ビジネス2008 Spring vol.1 野球号
*9:
*10:
*11:
*12:無論、「文字/特徴」という意である。
*13:
*14: A.O.バルナブース全集 (1973年) (モダン・クラシックス)